日本刀と本阿弥家
日本刀の歴史を語るうえで避けて通れないのが「本阿弥家」の存在です。歴代将軍に仕え、日本刀に関して尽力してきました。
本阿弥家は、日本刀の研磨を生業とした一族で、その初祖は「妙本」とされています。妙本を始めとした本阿弥家は、代々足利将軍家に仕え、日本刀の研磨を行ってきました。
やがて膨大な研磨資料から日本刀の鑑定を行うようになり、本阿弥家十代目・光室の頃からその価値を記した折紙を発行するようになりました。
本阿弥家には分家が多く存在し、後に絶家になったものもありますが、多いときには本家分家あわせて十三家ほど存在しました。それらの家々が毎月三日に集まり合議の上で発行したものが折紙です。特に本阿弥家十代目・光室から十三代目・光忠までに発行された折紙は、極めの精度が現在でも高く評価されています。
歴代当主の中では、豊臣秀吉や徳川家康に仕えた本阿弥家九代目・光徳が有名です。光徳は、折紙は残してませんが、極めたものに埋忠家が金象嵌を施した光徳象嵌は名高く、「へし切長谷部」など国宝に指定されているものも多いです。
現在、多くの日本刀の研磨で使用される「金肌拭い」とよばれる技法は、本阿弥家の分家である光意系十五代目当主・本阿弥平十郎成善が生み出したものです。
今日、人間国宝に認定されている本阿弥光州師は光意系の十八代目当主、その父である光意系十七代目当主・故本阿弥日州師も人間国宝です。室町期より続く本阿弥家ですが、現在でも日本刀剣界では欠くことのできない存在であり続けています。
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