日本刀の鑑定
日本刀の鑑定については「日本刀と本阿弥家」について簡単に触れました。今回は日本刀の鑑定の歴史について簡単に紹介していきます。
日本刀の鑑定の始まりは諸説ありますが、承久の乱で敗れ島流しにされた後鳥羽上皇が始まりとされています。承久3年の秋から約19年間、日本海の離島にて崩御するまで生活していましたが日本刀を鑑賞する趣味のおかげで、上皇の心を慰めていたようです。
かつて上皇は、討幕運動のため武備を蓄えるために諸国の名工を集め、数々の名刀を造らせていました。その数々の名刀が観賞用の美術品となったのです。そのため、上皇は詳しく太刀を鑑賞し、専門の鑑定家以上の域に達していたようです。
日本刀を鑑賞の目的とし、鑑定会などが行われるようになったのは江戸中期頃とされています。主催者は日本刀を数振りだし、銘を伏せて鑑賞者にみせます。鑑賞者はその刀身を見て、その特徴から刀工名を紙片に書きます。これを入札といいます。
そのころは刀工の数も多く、五ヶ伝諸工の移動も複雑化し、鑑定するのも一苦労でした。また、偽銘や偽物の日本刀が多く出回っている時代でもありました。
そこで本阿弥一門のような鑑定を生業にした一門が生まれました。そこから折り紙付き、という言葉が生まれました。
現在では「日本刀の鑑定書」でも紹介したように、権力やお金に左右され信用を失った時期がありました。
ちなみに、国宝・重要美術品・重要文化財の指定、認定は国家機関である文化財保護委員会の管轄で、日本美術刀剣保存協会の発行する鑑定書とは何も関係ありません。それ相当の日本刀であることを証明するだけであり、重要文化財などではありません。
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