名物の日本刀

日本刀には『名物刀剣』と呼ばれる日本刀が存在します。「名物」という言葉は室町期から使用していますが、確立したのは江戸期の享保(1716年~1736年)で徳川家八代目将軍・吉宗が本阿弥家十三代目当主・光忠に命じて編さんさせた『享保名物帳』からです。

『享保名物帳』は、本阿弥家が将軍家所蔵の日本刀や本阿弥家が代々研磨、手入れの際に記録を取ってきた日本刀を中心に編さんしたもので、平安期以降に製作された日本刀、約二百五十口が掲載されています。
「名物」という言葉を世に広め、後世に大きな影響を与えた『享保名物帳』。実は原本が現存していません。しかし、写しが二冊残っており、一つは本阿弥家が吉宗に献上したものの写し、もう一つは本阿弥家の調査記録の写しです。

日本刀が名物になるまでには長く、その源流は十束剣や布都御魂剣などの神話の世界に登場する剣や草薙剣などの天皇家の御剣、源平の武将に縁を持つ日本刀などです。
平安期以降、武家にとって日本刀は文字通り家宝であり、武家の誇りとして代々受け継がれてきました。
室町期には将軍や守護の間で贈られる日本刀は、その銘によって格付けされました。その後、鑑定として本阿弥家が台頭し、豊臣秀吉や徳川家康などの天下人に仕えた本阿弥家九代目当主・光徳はそれらの名刀を奥深い見識で鑑定しました。

現在でも光徳の金象嵌の入った日本刀は「光徳極め」「光徳象嵌」と呼ばれ、珍重されています。ちなみに、光徳は折紙の発行を許されたと伝わっていますが、光徳により発行された折紙は現存せず、現存する最も古い折紙は本阿弥家十代目当主・光室が発行したものです。十代光室から十三代光忠までが発行した折紙は現代でも高く評価されています。

『名物刀剣』で一番有名な日本刀は『天下五剣』と呼ばれる「童子切安綱」「鬼丸国綱」「三日月宗近」「大典太光世」「数珠丸恒次」でしょう。

日本刀のアレコレ

日本刀愛好家による日本刀のあれやこれやを紹介! 所持のルールや手入れのやり方から処分、売買のやり方まで日本刀の疑問すべてを紹介していきます。

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